えら部6-7月号「表紙の人」のご紹介
えら部6-7月号の「表紙の人」は、
宗利 紀里さん、53歳。
ここでは、スクール情報誌えら部の記事で書けなかったことを、私の感想とともに赤裸々に彼女のこれまでの人生の一部始終をお伝えしたいと思います。
宗利 紀里さんは、
シングルマザーで育てた二人の息子さんが海外へ、東京へと社会に巣立たれたタイミングで、この4月に神戸から沖縄に移住されたばかり。
ウェディングプランナーという職業が世に出る前から、ブライダル業界に33年身をおき、ウェディングプランナーの先駆者として今でも業界に貢献していらっしゃいます。
ウェディングプランナーの仕事とは、皆さんのイメージ通り、挙式・披露宴までお世話をする人の事ですが、宗利さんは、アメリカンスタイルのオリジナルウェディングを創作する方で、心理カウンセラーでもあります。
式場やホテルに属さず、個人で契約してカップルの思い通りの「結婚の儀」を場所・カタチを選ばずに提案されてきました。
宗利さんのウェデイングプランナーとしてのお仕事は、「結婚の儀をつくる」だけにとどまらず、結婚する前のマリッジブルーや親子問題をカウンセリングで解決したり、
また、結婚後も「添い遂げる夫婦」になってもらいたいがため、価値観や方向のズレを戻していく「カウンセリング」も行っています。
この沖縄でも、素敵な夫婦が誕生しているそうですよ。
自身のつらい離婚経験により「添い遂げられる夫婦」をつくりたい、
「自分の人生の終焉は、この大好きな沖縄で」と沖縄に移住されました。
自然の木や空や海に神様が宿る、この沖縄なら自分が思い描いている「添い遂げられる結婚の儀式」がつくれると、まんまるの目を輝せながら「沖縄でしかつくれない、沖縄だからつくれる結婚の儀式」のイメージを細かく熱く語ってくださいました。
スクール情報誌えら部で書けなかったのは、「つらい離婚経験」について。
二人目の息子さんがお腹にいる頃から、ご主人の会社で女子社員との社内不倫が発覚。それを宗利さんが知ったのは、お産の寸前だったそうです。そのお産寸前というのは阪神淡路大震災に見舞われた時期。それだけでも不安だったはずなのに、そんな中、震災直後のガスも水もない中で、本人がこだわり続けた「水中出産」を叶えられました。それは周りの助産師さんなどによる協力があったからこそ。本人は陣痛からお産まで何も覚えていなかったといいます。そこにご主人の姿はもちろんありませんでした。
人は窮地に追い込まれると本質がでる。
「震災離婚」なんて当時、よく耳にする言葉でしたが「本当に彼に対する信頼が全てなくなってしまった」と。
二人の小さなお子さんと3人で家を出て、離婚を反対する母親の助けも得られず、宗利さんは友人宅などを転々とし、その後やっと友人の両親の保障によりアパートを借りられたそうです。
朝昼晩と4つの仕事をかけもちし働き、息子ふたりには「お母さんは好きで仕事しているの」と、お金がない事を理由にしなかった。それは、二人には絶対に「自分の好きな道」を自由に選択して欲しかったからだ、と。思春期の息子の部屋には恥ずかしくて入れない、少しはやんちゃな時期もあったけど自身で立ち直ってくれた。私は彼らの自由と選択の余地は与えたいので、とにかく働いて働いて彼ら二人を彼ら自身が希望する私立の大学までいかせました。
息子さん二人がグレきれなかった理由は、そんなお母さんの働く背中を見てきたからだと思います。何の愚痴も言わず、ただ「お母さんはブライダルの仕事が好きだから」と、ブライダル関係の仕事に統一するよう努力されました。
息子さん二人が無事に大学を卒業、社会に出るタイミングで離婚したご主人の訃報を聞くことになる。亡くなってから2年も経ってから。
訃報を聞いた時、「私はやっぱり大好きな人と結婚したんだ」息子に「お母さん、大丈夫?」と気遣いの言葉をかけられ、抱きしめられた時にブワーッと涙が溢れでてきたと語る宗利さんに、私も思わずもらい泣き。
「なんであん時に我慢できへんかったんやろ」そんな思いが込み上げてきたそうです。
息子さんの旅立ちだけでなく、最愛のご主人が旅立たれた事で本当の意味で宗利さんの第二の人生が、ここ沖縄からはじまります。
そんな宗利さんに会ってみたい方は
読谷にあるレンタルハウス「なかゆくい」さんで行う、えら部主催のイベントに足を運んでくださいね。
宗利さんの
「恋愛結婚人生カウンセリング」がイベント価格で受けられます。
(1回30分:3,000円 1日12名限定)
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◆宗利さんの、スクール情報誌えら部の記事は→コチラです。
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◆山内良子のこれまでのブログ記事は
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